ジェフリー・アーチャー/クリフトン年代記第2部「死もまた我等なり」あらすじ

ジェフリー・アーチャーの大作クリフトン年代記を楽しく読むためのあらすじです。

第2部 「死もまた我等なり」

○ハリー・クリフトン 1939年-1941年 上巻P.10~
逮捕されたハリーは、自分はトム・ブラッドショーではなく、ハリー・クリフトンであると主張するがコロウスキー刑事は聞き入れない。一方、弁護士セフトン・ジェルクスはそれをわかった上で、ブラッドショーの両親の意向から、司法取引によりハリーが軍からの脱走罪を認めることを提案する。メイジーに送られる1万ドルの報酬もあり、ハリーは受け入れたが、想定していた1年ではなく、6年の刑期を言い渡される。
レーヴェンハム刑務所行きのバスでベテランのスリ、パット・クウィンと出会い、同房になる。彼からは無事刑務所生活を過ごす様々な心得を教えてもらう。ハリーは刑務所にいる間に起こることのすべてを日記に記すことにする。
ハリーは図書室の仕事を得るべくスワンソン所長との面談時にアピールするが、看守ヘスラーの嫌がらせで清掃係のままだった。
副図書係の出所をきっかけに、ハリーは、策略をめぐらし看守のヘスラーと取引し首尾良く副図書係になった。房から本を回収するとき面白い逸話に出会うと忘れず日記に書き付けた。リテラリー・エージェントだった図書係のマックス・ロイドは、ハリーの日記のファンになり出版社に見せることを勧めるが、ハリーは取り合わなかった。

○エマ・バリントン 1939年-1941年 上巻P.81~
エマはスコットランドの祖父の屋敷でハリーの息子を産み、セバスティアンと名づけた。オックスフォード大学はやめなくてはならなかったが、エマの妹のグレイスはケンブリッジ大学に入った。メイジーを訪れ、トム・ブラッドショーからの手紙を見つけ、読もうとするが断られる。エマはその死が知らされていたにも関わらず、この手紙はハリーが書いたものと確信する。
エマはグランド・ホテルのメイジーのところでひと月ウェイトレスの見習いをし、紹介状を持ってアメリカ行きのトム・ブラッドショーが助けられた「カンザス・スター」に乗り込むが、得られた仕事は案内係だった。案内係の仕事をしながら、ハリーとトム・ブラッドショーを助けた時の様子を知ろうとし、トム・ブラッドショーの担当だったクリスティン看護師とその恋人で今は結婚しているリチャード・ティベットの住所を知る。
エマはアメリカに上陸し、クリスティンを尋ねる。そこでトム・ブラッドショーが逮捕されたことを聞いて、トム・ブラッドショーがハリーなら誤認逮捕と証明するのは難しくなかったずだと、ハリーの死を受け入れようとする。
○ジャイルズ・バリントン 1939年-1941年 上巻P.137~
ジャイルズはジャック・タラントが所属していたロイヤル・グロスター連隊へ入隊しようとするが、色盲が原因で実戦任務には不適とされる。
非難の目にさらされたジャイルズは、改めて、ウェセックス連隊に色盲のことは隠して入隊する。12週間の訓練中は、バリントン家出入りの肉屋の息子テリー・ベイツが良いライバルだった。しかし、ジャイルズは、士官養成学校に進み少尉となる。
そしてジャイルズの連隊は海外に出動することになった。

○ハリー・クリフトン 1941年 上巻P.165~
図書係のマックス・ロイドが出所したとき、読み続けたいのでハリーの日記を送るように頼まれ、同意する。
真珠湾攻撃の後アメリカが参戦し、ハリーは軍のレンジャーズにリクルートされ、パット・クウィンとともに入隊し、ハリー・クリフトンの名前を使うことにする。

○エマ・バリントン 1941年 上巻P.175~
エマは、クリスティンのアパートでアメリカ上陸時のトム・ブラッドショーの写真を見せられ、それがハリーであることを知る。ではなぜハリーは別人として服役しているのか?エマは弁護士のセフトン・ジェルクスに面会を求めるが拒絶される。
裁判記録を調べたエマは、トム・ブラッドショーを逮捕した二十四分署のカール・コロウスキー刑事にトムはハリーだと説明し、レーヴェンハム刑務所に入所しているトムことハリーと面会する手続をとってもらうが、トム・ブラッドショーは誰とも会いたくないと明言しているとのことでかなわなかった。
エマは、マックス・ロイド著「ある囚人の日記」が大ベストセラーになっているのを発見する。

○ジャイルズ・バリントン 1941年 上巻P.201~
ジャイルズの連隊はエジプト・トブルクに到着した。ジャイルズの上官はセント・ビーズの監督生であったフィッシャー中尉で、相変わらず偉そうなろくでなしのようだった。
任務は町の哨戒だったが、何事も無く何週間が過ぎた四月初め、ドイツ軍と戦闘になった。ジャイルズの隊はフィッシャーの命令により無理な突撃を強いられ、多くの犠牲者を出すがドイツ軍を撃退する。しかし、フィッシャーに手柄を奪われる。
沙漠の狐ロンメルの本格的な攻撃が始まり、ジャイルズは圧倒的に不利な状況を持ちこたえるようフィッシャーに命令される。そして、砲撃により四方の壁が崩れはじめ、ジャイルズはベイツ伍長に覆い被さった。

○エマ・バリントン 1941年 上巻P.228~
「ある囚人の日記」を読んだエマは、これがハリーの作と確信する。ロンドンから来たリテラリー・エージェントのふりをして、マックス・ロイドを食事に招待し、対決する。マックス・ロイドは日記の作者ではないことを指摘した上で、出版権を外国に売らないこと、日記をすべて引き渡すことを求めたのだ。
しかし、翌日セフトン・ジェルクス弁護士のオフィスであったときに、反撃を受ける。ジェルクスがマックスの代理人であり、またマックスの筆跡のオリジナル原稿もあったのだ。エマは日記の作者がハリーであること、名誉毀損のかどでエマを告発するのであれば、トム・ブラッドショーが本人でないとわかっているのに弁護した理由を法廷で説明しなければならなくなると釘を刺す。
もうエマが頼りにできるのは、ハーヴェイ卿の妹である大叔母のフィリスだけだった。

○ジャイルズ・バリントン 1941年 上巻P.201~
ジャイルズは負傷して捕虜になり、ドイツのヴァインベルク捕虜収容所に送られた。ジャイルズは脱走委員会の待機リストの上位に上がるため、テリー・ベイツ伍長の協力を得て元ワイン・ウェイターのふりをすると同時にドイツ語の学習をはじめる。
いよいよワイン・ウェイターとして働きはじめると、ジャイルズは捕虜収容所長に第一級のワイン・ウェイターだと気に入られ、常に所長に給仕し、所長のしゃべり方を会得する。
ついに1941年の大晦日の日、テリーとジャイルズは、新年を祝うにぎわいにまぎれて所長のふりをして収容所を抜け出す計画を実行する。スイスとの国境の検問所で正体がばれ、銃撃を受けるがジャイルズはなんとかスイスにたどり着く。しかし、テリー・ベイツは銃弾に倒れていた。

○ヒューゴー・バリントン 1939年-1942年 下巻P.9~
結婚式が中止になった後、困窮しながらロンドンに隠れ住んでいたヒューゴー・バリントンは、旧友アーチー・フェンウィックのつてでポーランドからの亡命ユダヤ人オルガ・ペトロフスカを知った。結婚とレディ・バリントンの地位をちらつかせて財産目当てでねんごろになり、彼女と共に暮らしはじめる。
ティリーズ・ティー・ショップが爆撃を受け、売りに出されていることを知ったヒューゴーは、旧友トビー・ダンステイブルと共謀してオルガの財産を盗み1万ポンドの分け前を得る。
そしてウォルター・バリントンの死を知る。ヒューゴーが唯一の相続者だった。

○メイジー・クリフトン 1939年-1942年 下巻P.29~
グランド・ホテルのレストラン部門の部長になったメイジーは、ティリーズ・ティー・ショップの土地売却について相談したホールコムから、逆に夜間学級への就学を勧められる。パーティーに誘われた米軍のマイク・マルホランド少佐から価値が大きな可能性とその見極めのため、提示された200ポンドの売却金額に400ポンドを逆提示するよう助言される。
メイジーに、更なる昇格の申し出があった。メイジーは夜間学級に通い始めるが、マイク・マルホランドとパトリック・ケイシーからプロポーズされる。銀行のブレンダーガスト支配人に土地売却について逆提示を行ってから夜間学校に行くと、土地売却の分け前を要求するスタンがやってきて彼女を連れ出そうとするが、ホールコムがボクシングで撃退し、彼の家に泊まるよう勧める。

○エマ・バリントン 1941年-1942年 下巻P.95~
エマは大叔母のフィリスに客として迎えられる。その息子で弁護士のアリステア・スチュアートの助言を受け、「ある囚人の日記」の出版社のハロルド・ギンズバーグと面会し、日記がハリーの作であると説得し、ギンズバーグはハリーを著者にした改訂版の出版を約束する。
ハリーことトム・ブラッドショーへの面会許可を求めたが、もう刑務所にいないという理由で却下された。ハリーはその刑期を海軍で消化しているのだ。

○ヒューゴー・バリントン 1942年-1943年 下巻P.120~
ウォルター・バリントンの葬儀が行われ、ヒューゴーも参列する。既に准男爵の地位とバリントン海運会長の座を相続していた。
ヒューゴーは、スタンを使ってティリーズ・ティー・ショップの土地の200ポンドでの買収を試み、また、メイジーの元にあるトム・ブラッドショーからの手紙を読もうとする。
密偵ミッチェルの報告で、メイジーがホールコムと婚約したことをヒューゴーは知る。ミッチェルには、オルガ・ペトロフスカの監視を命ずる。
気まぐれな経営でバリントン海運の雲行きを怪しくし、ヒューゴーは、是非ともティリーズ・ティー・ショップの土地を手に入れる必要があった。ブロード・ストリートの土地がまとまっていれば高額で売れるのだ。
ヒューゴーは、ホールコムと対決しメイジーの過去をほのめかすが、逆にそれはヒューゴーの息子ハリーの授業料のためとやり込められ、言わなくとも良いティー・ショップの土地の価値まで口にする。
自身の金回りも悪くなり、さらにトビー・ダンステイブルの逮捕、オルガ・ペトロフスカからの婚約不履行と娘の認知の訴訟でヒューゴは追い詰められ、バリントン・ホールを売却しアメリカへの脱出を試みるが逮捕される。絶体絶命かと思われたが、トビー・ダンステイブルの死で釈放される。
さらに、政府との有利な契約、ブロード・ストリートの土地の高額での売却でヒューゴは息をつく。しかし、手に入れたトム・ブラッドショーからの手紙で、ハリーが生きていることを知る。
オルガ・ペトロフスカが会社に乗り込んできて娘の認知を迫る。もみ合いになって、オルガの持ったレター・オープナーがヒューゴーの首を貫き、ヒューゴは死ぬ。オルガは急行列車に飛び込む。

○エマ・バリントン 1942年 下巻P.191~
エマは、出版社主ギンズバーグと共に弁護士セフトン・ジェルクスと対決し、見事な演技で実は有利な契約を結ぶことに成功し、著者をハリーに改訂して出版された「ある囚人の日記」はベストセラーになった。
ジョン・クレヴァードン大佐からハリーの情報を知らせることができるという手紙が届き、また、大使と共に飛行機でロンドンへ戻る方策もついた。
エマ、ギンズバーグ、アリステア、フィリーズは祝杯を上げる。実はジェルクスとの契約にソフトバックで出版する権利について書いていなかったので、ハードカバーで出版されていない一冊目の日記の出版を認める契約を交わすことができたのだ。この出版により、ジェルクスはシニア・パートナーから追われるだろう。
エマはフィリス大叔母の元を離れる。イギリス大使館で帰国の手続をした後は、ジョン・クレヴァードン大佐と面談しハリーの詳しい消息を聞く。今は特殊部隊の中尉となり、敵の前線の後方で破壊工作に従事し、賞金首とまでなっているとのことだった。釈放の期日を聞くが、刑期は終わったことになっていないという。エマは無実とわかったのだから、ハリーをイギリスに送り返してほしいと望む。

○ハリー・クリフトン 1945年 下巻P.229~
パット・クウィンと共に行動するハリーは、ドイツ軍のケルテル元帥をハンカチ一枚を武器に騙し、伝説の第一九機甲師団を降伏させる。しかし、その直後ハリーのジープはドイツ軍の地雷を踏む。
ハリーが気がつくとそこはブリストル総合病院で、エマがいた。セバスティアンとも対面し、その風貌がアーサー・クリフトンとそっくりなことに気がつく。残念なことにパット・クウィンは地雷で死んでいた。母メイジーは、ホテルの副支配人になっており、ホールコムと結婚していた。ジャイルズは労働党から国会を目指す予定。
やがてハリーはウィリアム・ウォーウィックを主人公とする探偵小説を書き始める。
退院の日、ヒューゴーの死の後、バリントン一族の所有する会社とハーヴェイ一族の所有する会社は一つにまとめられたが、その肩書きと資産を引き継ぐ者の判定は、大法官に委ねられ、法官議員の評決ではハリーに有利な評決になったことを教えられた。これを覆すには貴族院に上訴しなければならない。今やこの相続は世論を二分する話題だった。
ハリーは血液型からヒューゴーとの親子鑑定をしようとするが、その結果は親子関係を否定するものではなかった。
大法務官執務室から連絡があり、9月6日に議会で討論が行われ、ハリーとジャイルズのいずれかが一族の肩書きを継承するか決せられることになった。ハリーの小説は7月20日に出版され、批評家に好意的に迎えられたが、世間の関心は相続の行方だった。庶民院に議席を得たジャイルズも、自分とハリーの将来を決めるのは貴族院で行われる討議と承知していた。
いよいよ貴族院の討議の日、エマは、ミッチェルと会ってヒューゴーの遺児の名がジェシカだと知る。ハーヴェイ卿の演説の後、レグ・ブレストンの反対討論があり、討議を経て投票となったが、賛否同数だった。ハーヴェイ卿は急病で倒れ投票できなかった。
大法官が決定票を持っているが、その判断は午前10時に下されることとなった。
死もまた我等なり(上): クリフトン年代記 第2部 (新潮文庫)

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死もまた我等なり(下): クリフトン年代記 第2部 (新潮文庫)

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